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最高裁判所第一小法廷 昭和58年(行ツ)136号 判決

上告人

加藤達哉

右訴訟代理人弁護士

在間秀和

菅充行

谷野哲夫

中北龍太郎

仲田隆明

西川雅偉

被上告人

近畿郵政局長 成川富彦

右当事者間の大阪高等裁判所昭和五七年(行コ)第四〇号懲戒免職処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五八年九月二九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人在間秀和、同菅充行、同谷野哲夫、同中北龍太郎、同仲田隆明、同西川雅偉の上告理由第一点について

所論の点に関する原審の認定は、原判決挙示の証拠に照らし、正当として是認することができる。そして、当該行為が当該公務員の職務と関連するものでないからといって、直ちに国家公務員法八二条三号所定の非行あるいは同法九九条所定の信用失墜行為にあたらないとすることは相当ではなく、原審が確定した事実関係の下においては、上告人が、新東京国際空港開港反対運動に参加し、兇器準備集合、公務執行妨害、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、傷害の各犯罪行為を実行し、逮捕されたという本件行為は、その性質、態様、社会に与えた影響等に徴すると、同法九九条に違反するものとして同法八二条一号の懲戒事由にあたるとともに、同条三号の懲戒事由にもあたるというべきであり、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決には所論の違法はなく、所論のうち違憲をいう点は、その実質は単なる法令違背を主張するものにすぎず、原判決に右法令違背のないことは、右に述べたとおりである。論旨は、採用することができない。

同第二点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。原判決には所論の違法はなく、所論のうち違憲をいう点は、その実質は単なる法令違背を主張するものにすぎず、原判決に右法令違背のないことは、右に述べたとおりである。論旨は、採用することができない。

同第三点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第四点、第五点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷口正孝 裁判官 藤﨑萬里 裁判官 和田誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 矢口洪一)

上告代理人の上告理由

第一、原判決は憲法第二七条第一項の解釈適用を誤り、又、国家公務員法第八二条第三号、同第九九条の解釈適用を誤り、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、原判決は本件懲戒処分を肯認するにあたり、「原告の行為は、法規を遵守して全体に奉仕すべき責務を担っており、そしてこのことの故に一般私企業の労働者に比しより高度の廉潔性の保持が国民一般から要請ないし期待されている公務員にあるまじき行為であって、国家公務員たる郵政職員としての官職の信用を著しく毀損し、かつ、郵政事業全体の社会的評価及び信用を著しく害したものである」とか「前記のとおり一般私企業の労働者に比しより高度の廉潔性の保持が国民一般から要請ないし期待されているその官職の信用を傷つけ、又は官職全体の不名誉となるような行為をしてはならないのであって」とか、あるいは「原告の前記行為は、その職務と無関係に行われたものではあるが、原告は、前記のような国家公務員として、法律命令を遵守すべき立場にありながら、政府の決定した……」などという議論を展開しているが、これらによって明らかなように、原判決の強調するところは、およそ公務員はその職種、地位の如何に拘わらず、職務との具体的な関連を問わずして私生活にも亘る一般的な廉潔性の保持義務を有するというものであり、公務員に対し無限定な国家への服従を強いる性格のものである。

しかし、こうした認識は明らかに誤ったものである。公務員といえども、私生活に亘る一般的な廉潔性の保持義務や無限定な国家への服従を強いられるものではない。公務員はその職務の遂行を通じて国民全体に奉仕すべきものであって、私生活にも亘る廉潔性の保持によって国民一般の範となるべきことまで求められているわけではない。もとより、職務の特殊性の故に私生活に亘っても慎重な行動が要求される場合があり得ないわけではないが、そのような職務は極く限られた職種の公務員である。

二、このことは現行憲法の諸条項ならびに公務員の職務上の義務を中心に構成されている国公法や地公法の諸規定に照らして当然のことである。国公法九六条一項は「すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当っては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。」とあり、職務遂行上の義務を規定しているものであり、同法一条一項は「職員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得るように、民主的な方法で、選択され、且つ、指導さるべきことを定め、以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的とする。」として、その目的を明確に規定している。又、同法九九条は「職員は、その官職の信用を傷つけ、又は官職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。」とあって、決して「職員の信用」や「職員全体の不名誉」が問題にされているのではない。同条は個別的職務又は職務全体の民主的且つ能率的運営(同法一条一項)に対する社会的信用を害する行為を禁じたものであって、原則として職務上の行為ないしは職務遂行に支障を来すような行為を対象とするものである。そして、郵政省設置法三条により郵政省の行う事業が規定されているが、郵政省は各事業を「あまねく、公平にその役務を提供してその利用を通じて国民の経済生活の安定を図り、公共の福祉を増進することを目的として運営」しているものである。してみれば郵政事業の民主的、能率的、且つ公正な運営を阻害する要因を排除することが出来れば、必要にして十分であるといわなければならず、それ以上に職員の私生活上の行為に容喙することは不必要に職員の人権を侵害するものといわなければならない。

更に、国公法第九八条一項は公務員に対し、法令遵守義務を定めてはいるが、それは「その職務を遂行するについて(当たって)」と規定されているように職務遂行上の義務に過ぎないし、国公法第一〇五条の規定などはかえって公務員が「職員として」は法令に基づく職務を担当する以外の義務を負わないことを明らかにしているのである。また、いわゆる職務専念義務にしても、それが求められるのはあくまで勤務時間中のことに過ぎない(国公法第一〇一条、地方公法第三五条)。更に、右に述べたように現行法下の公務員が一般的な廉潔性の保持義務の如きものを負うものではないということは、現行国公法を明治憲法下の官吏服務紀律や現行の裁判官弾劾法の規定と比較してみても明らかに認められる。即ち、右官吏服務紀律においては「官吏ハ職務ノ内外ヲ問ハス廉恥ヲ重シ貧汚ノ所為アルヘカラス、官吏ハ職務ノ内外ヲ問ハス権威ヲ濫用セス謹慎懇切ナルコトヲ務ムヘシ」(同第三条)と規定されていたように、明治憲法下の官吏は「職務の内外を問わず一定の品位を保つべきこと」が求められていたのであるが、現行国公法や地公法には右の如き規定は一切なく、ただ単に職務上の義務が定められているだけである。また、現行裁判官弾劾法においては、裁判官という特殊な職務の性質から「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があった場合」(同法第二条二号)というように明文で「職務の内外を問わず」「裁判官としての威信」を保つべきことが規定されているが(また裁判所法第四九条も「品位を辱める」という文言を用いている)、この点において国公法第九九条や第八二条三号などの規定が裁判官弾劾法の規定とは全く異なっていることが一目瞭然である。即ち、国公法の適用のある一般行政職の公務員には、明治憲法下の官吏や現行法における裁判官に求められるような廉潔性の保持や、品位、威厳の保持は、そもそも期待されていないということに外ならない。

三、次に、公務員に対する懲戒処分が実定法上明文の根拠を与えられるべき積極的意義は、公務員の職場秩序を維持すると同時に、その結果として公務員の職務に対する国民一般の信頼を確保すべき措置を明確に法定することにあることは間違いないが、しかし前記のように公務員といえども私生活上は一人の人間として市民的自由を享楽すべきものであるから、仮に職場秩序維持の見地から公務員の私生活上の行為に対して懲戒処分が及びうる場合であっても、懲戒権の行使は必要最小限度のものでなければならない。即ち、懲戒処分が公務員の職務上の義務違反であるとか或いは職場内における非行を対象とする時は、そもそも公務員の市民的自由の尊重ということに配慮する必要がないのであるから、その限りにおいて比較的広い範囲で懲戒処分が是認されうるが、公務員の私生活上の行為については、たとえ懲戒制度が前記のように積極的役割を担ったものであるとしても、公務員の市民的自由も尊重されなければならないから、懲戒処分の成立範囲は相当程度限定されてしかるべきであるということになる。

四、以上の理を総合するならば、結局国公法第八二条三号の「(国民)全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」とは、即ち、公務員の職務の公正について一般国民をして強い疑念を抱かせ、その結果として職場秩序が侵害されることが客観的に認められるような種類及び程度の非行と解すべきであり、特に職場外の行為については右疑念が非常に強いため、当該公務員の市民的自由よりも職場秩序の回復を優先させなければならない程度の侵害結果をもたらすような非行というように厳格に解すべきである。

なお、付言すると、右のように前記各号の「非行」とは公務員の職務の公正を疑わせるような種類の非行であると解されるから、ある非行が懲戒処分の対象たり得るか否かは当該公務員の地位、具体的権限或いは職務内容と密接な関連があるということになる。従って、ある公務員にとっては懲戒処分の原因となる非行であっても、別の地位、職務の公務員にとっては懲戒処分の原因とならないことが有り得るし、また、仮に懲戒処分の原因になるとしても、選択すべき懲戒内容に差異が出てくるということは当然生ずることであると言わねばならない。

五、このように、原判決は国公法第八二条三号、同法第九九条の解釈適用を誤り、「非行」と職務との具体的関連を問うことなく本件処分を是認したものであり、右解釈適用の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

又、原判決のように具体的職務と関連のない「非行」を理由に公務員の労働者としての地位を奪うことは、憲法第二七条第一項が保障する労働基本権を違法に侵害するものといわねばならず、原判決は憲法第二七条第一項の解釈適用をも誤ったものといわねばならない。

尚、付言すれば、本件処分の理由として被上告人が主張する「非行」が、上告人の職務と何ら関係のないものであることは原判決も認めるところであり、上告人の職務遂行に対する国民の信頼に何ら影響を及ぼすものではないことは既に第一、二審において詳述したところである。原判決は上告人の「非行」が「国民一般の郵政職員に対する信頼や、その社会的評価を著しく毀損し、低下させるものというべきである」などというが、具体的証拠にもとづかない単なる憶測にしか過ぎない。仮に、上告人に原判決が認めるような「非行」があったとしても、それは上告人が私生活において国民の模範生たり得なかったというだけの事であり、郵政業務に対する国民の信頼をいささかも損なうものではないことは経験則上も明らかである。

第二、原判決は憲法第二一条第一項に違背している。

一、上告人らは第一、二審において、三里塚空港反対闘争の正当性を縷々述べてきたが、原判決のこれに対する応答はまことにそっけないものである。

即ち、原判決は次のとおりいう。「なる程、一国民が、新東京国際空港の建設や、右空港の開港が不当であるとしてこれに反対し、右空港の建設や開港の阻止を実現するための闘争活動をすることは、現行法が国民に、思想、信条、表現の自由や、その政治的自由を保障しているところから、もとより許さるべきであって、これを一概に違法として禁止することはできないものというべきである。しかし、右反対闘争は、正当な言論活動や、民事行政の各訴訟その他現行法秩序に反しない手段方法でなさるべきであって、その目的が正当であるからといって、国家公務員たるものが、本件の如き犯罪行為を伴った実力で、右空港の設置、開港を阻止するための闘争をすることは、却って、民主主義を破壊し、現行法秩序を覆すものとして、到底許されるものではないというべきである。」

二、ここには単なる形式論理が存するだけで、専ら社会を真摯に憂えて、犠牲的精神のもとに三里塚闘争に参加し、国家権力や警察機動隊の暴虐に抵抗を示そうとした上告人の純粋な信念と行動に対する理解は皆無である。もとより三里塚闘争の何たるかに関する理解も欠如したままである。正当な目的のためであれ相当な手段をとることが要求される、という論理が正しいとしても、目的の内容を正しく理解しなければ、手段の相当性を判断することなどできない。又、当該手段のとられた環境も総合的に考えるのでなければ、手段の相当性を正当に評価することはできない。

三、三里塚における警察の三里塚農民に対する違法な弾圧の事例については枚挙にいとまがないくらいである。それらの事例については上告人は既に第一、二審でも詳述したところであるが、要約すれば、三里塚においては三里塚農民の基本的人権は蹂躙され、警察は違法な警備や捜査に慣れきっていて、ひたすら反対派農民とその支援者達を弾圧することのみに血道をあげていたのである。そして、昭和五三年三月末における「開港」に向けた警備状況について言えば、極論すればそこでは法の支配さえなく、あるのは警察の圧倒的な物理力による戒厳令下的な状況であった。

かかる状況下にあって、横堀要塞への警察による違法な攻撃に抗議し、右要塞の中の人々を勇気づける目的で出発した上告人らのデモ隊が、警察官に違法にも進路を阻まれたため、右警官隊の阻止線を突破してデモ行進を続けようとして、右デモ隊の一部の者が警官隊と実力をもって衝突し、中には火炎びんを投てきした者がいたとしても、これを一概に非難することはできない。けだし、横堀要塞が破壊され、また中の人々が負傷し、場合によっては殺害されるということになっては事後的司法的救済など殆ど役に立たない上、デモ隊としても現に表現の自由、行動の自由を踏みにじられていたのであるから、デモ隊の一部の者が多少の暴行や火炎びん投てき等の行動に出たとしても、全体としてみればデモ隊の行動は憲法第二一条第一項に保障された表現の自由の行使として相当性を失ってはいないといわなければならない。尚、現実にもデモ隊は短時間のうちに壊滅し去り、また警察官側の蒙った被害はさほど大きくはなかった。

四、原判決は、目的、及び当該手段のとられた環境との相関関係において手段の是非を論ずべきところ、手段として措られた行為のみに目を奪われるのあまり、目的や環境に対する充分な顧慮をなすことなく、上告人の憲法第二一条第一項で保障された表現の自由の行使を違法と断じた誤りを犯したものである。

第三、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則ないし採証法則の適用の誤り、又は理由不備の違法がある。

一、原判決は上告人が凶器準備集合等の犯罪行為に加功したものと認定したが、その根拠として挙げるところを要約すれば、

(一) 上告人は、三里塚空港反対闘争においては、従前から反対派の者が警察官と衝突し、本件と同様の反対行為に出ることを知っていたこと。

(二) 上告人は、昭和五三年三月二六日、新東京国際空港の開港を実力で阻止する闘争に参加することとし、多数の者と共に集会に参加した後、多数の者と共に横堀要塞に向けてデモ行進をしたこと、その際、右デモ行進をした者の中には、予め用意した火炎びんや、鉄パイプ、石塊等を持っていた者が多数おり、その者らが、当時警備に当たっていた警察官隊と衝突し、右警察官らに対し、その所持する火炎びんや石塊を投げつけたり鉄パイプで殴りかかる等の暴行を加えたこと、上告人は、右逮捕された際、石塊六個を持っていた外、ヘルメットを着用し、手拭で覆面をしていたこと。

(三) 上告人が凶器準備集合等の罪により、第一、二審で右罪の判決を受けたこと。

であり、これらを根拠として、上告人は自らその実行行為をしたことがないとしても、右各犯罪を行うについて、前記デモ集団の多数の者と暗黙の共謀をしていたものと認めるのが相当である、と認定するのである。

二、しかし、右(一)についていえば、成程、これまでの反対闘争の中で反対派の中から逮捕者、起訴者が出たことはあるかもしれないが、しかし、反対闘争に参加した者すべてがそのような罪に問われているわけでもなく、まして、あらゆる反対闘争が警察官との衝突に及んだわけでもないのであるから、右のように三里塚闘争に参加する者すべてが警察官に対する積極的な攻撃を意図しているかのように認定しているのは経験則に反する事実認定であるといわねばならない。

次に右(二)のうち、昭和五三年三月二六日の闘争が、「開港を実力で阻止する闘争」であったと認定している点であるが、成程、集会等の呼びかけの一部にかかる激越な文言がないわけではないが、少なくとも当日の闘争参加者全員が実力闘争に加わることなどは、誰も考えていなかったことは前後の状況に照らしても明らかである。即ち、多数の集会参加者のうち(前段集会で約三、〇〇〇人)、現実に警察官と衝突した者は極く一部にしか過ぎなかったのである。従って、上告人が当日の闘争に参加したからといって、これを実力闘争に加わる意図があったと認定するのは短絡も甚だしく、著しい経験則違反を犯しているといわなければならない。

更に、以上の点を踏まえた上、事実として争いのない右(二)のうちのその余の点、及び右(三)を総合判断して、果たして原判決のように「デモ集団の多数の者と暗黙の共謀をしていたものと認めるのが相当」と言い得るであろうか。否である。

上告人を懲戒に付するためには、懲戒事由はかなりの蓋然性をもって認定される必要がある。本件処分は、上告人の労働者としての地位を剥奪し、ひいてはその生活手段を剥奪する重大な不利益を課する処分であるから、合理的な疑いを容れない程度に懲戒事由が立証されなければならないというべきである。

然るに、原判決の右認定はあまりにも憶測に過ぎる推論であり、充分な証拠もなく、上告人の懲戒事由の存在を認定したのは、経験則、採証法則に違背し、理由不備の違法を免れないといわなければならない。

三、このことは上告人の行動を再度想起することにより、さらに明確になるものと思われる。上告人の当日の行動は以下のとおりである。

1 上告人が昭和五三年三月二六日の三里塚現地における集会、デモ等に参加したのは、「三里塚闘争に連帯する会」の呼び掛けに応じた結果であるが、上告人は火炎びんを投げたり、鉄パイプをふるったり、あるいは石を投げるなどの方法により、実力闘争をする意思で参加したわけではない。又、上告人がそのような意図を事前に有していたことを認めるに足りる証拠は何ら存しない。

上告人は右同日午前九時頃、三里塚に到着し、菱田小学校跡地で開催された、いわゆる「前段集会」に参加した。そして、その後、第一公園で開催予定の反対同盟主催の「本集会」に参加するつもりであった。「前段集会」は午前一〇時から開催され、約三、〇〇〇人が参加する中で空港に反対する諸団体からのアピール等が続いたが、もとより空港反対のための普通の集会であり、実力闘争の呼び掛けや共謀等が行われたことは全くなかった。集会は午前一二時頃に終わったが、集会参加者の一部が「本集会」に参加する前に、「横堀要塞」付近にデモをかけて、「横堀要塞」で闘っている人達に対する激励と違法にもこれを差押えようとする機動隊の弾圧に抗議しようということになり、前記「三里塚闘争に連帯する会」の呼びかけで参加した上告人らもこれに加わることになった。

2 上告人は右デモが火炎びん、鉄パイプ等による実力行動を伴うものとは考えておらず、デモをし、シュプレヒコール、座り込み等の手段により「横堀要塞」に対する激励、機動隊に対する抗議を行うものと思っていた。

上告人はヘルメットを着用し、タオルで覆面するなどしていたが、これらはあくまでも機動隊の違法不当な暴行やいわれのない写真撮影から身を守るためのものであり、実力闘争であるか否かに拘わらず、しばしばデモ隊員のとる服装である。

右デモの参加者は数百名にのぼり、上告人は最後尾の方に位置していたので、デモ隊の前方の様子はあまりよく分からない状態であった。もとより火炎びんや鉄パイプなどを準備している者がいるなどとは思いも及ばなかった。デモは前記菱田小学校跡地から出発して、「横堀要塞」付近まで進み、そこでシュプレヒコール等がなされた。

3 上告人にとっては、その後、デモ隊前方で何が起こったのかよくわからなかったが、間もなくデモ隊の前方部分が列を崩して後方に逃げてきて、その後ろから機動隊が押し寄せて来るのを現認した。又、デモ隊員の一人が火だるまになって逃げて来たり、前方に火の手が上がったりするのも現認した。

上告人はかかる状況を見て、とっさに石を拾ってポケットに入れたが、これは機動隊員が攻め寄せて来るのを目のあたりにして、いわば本能的に防衛しようとして石を拾い集めたものである。しかし、実際には石を投げる暇もなかった。デモ隊は前方から襲いかかってくる機動隊から逃れようと雪崩をうって後退しはじめたところ、突如左手の物陰に潜んでいた別の機動隊が現れて、デモ隊後方に進出し、その退路を遮断して、前後からはさみ撃ちにし、デモ隊全員に対し無差別逮捕を始めたのである。

4 こうして上告人も逮捕されるべき犯罪行為には何ら加功していなかったにも拘わらず、手当り次第に行われた無差別逮捕の犠牲になったものである。逮捕警官をはじめ、誰も上告人が犯罪の実行行為をなすところを現認してはいないのに、単にデモの中にいたというだけで逮捕されてしまったのである。そして、逮捕時には顔面を殴られたり、倒されたりして、かけていた眼鏡も紛失し、又、逮捕後、逮捕警官の上司らしき警官の前に連行された際、右上司らしき警官からも数回顔面を殴打されるなどの暴行を受けた。

5 上告人は逮捕勾留期間中、黙秘権を行使しつづけたが、その理由は第一に弁護人の指示に従ったこと、第二に逮捕自体が根拠のない不当なものであり、又、いわれのない暴行まで受けており、これに抗議するためにも黙秘という手段を選んだものである。

このように上告人は懲戒事由となるような行為を実行したこともなければ、多数の者との間にかかる行為をなすについて共謀乃至暗黙の共謀をなしたこともないのである。

百歩譲っても、上告人がかかる行為の共謀乃至暗黙の共謀をなしたことを、合理的な疑いを容れずに認めるには到底足りないといわねばならない。

このことは上告人が刑事裁判の第一、二審とも有罪の判決を受けたことによっても何ら変わりはない。刑事裁判の判決が何ら確かな証拠に基づかず憶断によって上告人に有罪の宣告をしていることは、既に第一、二審においても詳論したところである。こんなことでは、国民はうかつにデモにも参加できないことになる。

四、原判決は安易に上告人の懲戒事由の存在を認めているが、これが判決に影響を及ぼすことの明らかな経験則、採証法則違背を犯したものであり、又、理由不備の違法を犯したものであることは明らかである。

第四、原判決は懲戒免職処分の手続規定の解釈適用を誤り、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背を犯している。

一、原判決は第一審判決がなした「国家公務員が犯罪を犯したことを理由として懲戒免職処分がなされた場合において、当該国家公務員が、客観的に懲戒免職処分に相当する犯罪行為を犯した事実がある限り、右懲戒免職処分に当り、その犯罪行為の存否に関する処分権者の調査が不充分であるからといって、法律上、右懲戒免職処分を取り消す程の違法、無効があるとは到底解し難い。」との極めて粗雑な判示部分については、さすがにこれを改めたものの、被上告人のなした調査をもって十分なものであると強弁して憚らない。

しかしながら、刑事事件に関し起訴された者に対する処分につき、郵政省人事局長通達(郵人人第一号昭和五〇年一月四日)は、

「職員が刑事事件に関し起訴された場合は、あらかじめ、その事案の内容を把握するため、本人及び検察庁その他関係方面について十分調査検討の上、当該事案が後記4に該当する場合を除いては、協約第五条第六項の規定に基づき休職を発令する。……なお、その罪状が明白であって、かつ、その情状の重い場合は速やかに所定の手続を経て懲戒免職の措置をとるものとする」と規定する。

すなわち右通達によれば、

第一に処分事由についての調査乃至認定の手段として、「事案の内容を本人及び検察庁その他関係方面について十分調査検討」することが必要とされ、

第二に免職処分の要件として、「その罪状が明白であって、かつ、その情状の重い場合」であることが定められている。

ところが、被上告人が本件処分にあたって調査し収集し得た情報にして、犯罪事実の存否を判断する上での資料となり得るものは、要約すれば、

(1) 上告人が逮捕、勾留され、起訴されたこと

(2) 検察官から聞いた逮捕状況、及び犯罪内容

(3) 上告人が格別の弁明をしなかったこと

の三点に尽きる。

しかし、右(1)の点は、前記通達が刑事事件に関し起訴された者を対象に調査をなすべきことを定めていることからも明らかなように、これは調査をなすべき端緒にしかすぎない、右(1)の点を前提にした上で十分なる調査、検討を開始すべきことが求められているのである。

そこで次に(2)の点であるが、検察官からの回答は、上告人が犯罪行為に加功したことは間違いない旨の抽象的な返答だけで、上告人が具体的にどのような行為をしたのかを全く明らかにするものではなかった。共謀の有無等についても同様である。検察官は「警察官が襲って来た者たちを個々にマークしているので、やった行為についてははっきりしており、証拠も上がっている。しかし、具体的なことについてはここに証拠の持ち合わせがない」と回答したのであるが(乙三号証)、検察官も随分とでたらめを述べたものである。何故なら、上告人の具体的行為の特定は判決時までに遂になし得なかったからである。それはさて措くとして、検察官との面談で、具体的な確認ができたのは、せいぜい上告人が事件現場で逮捕されたこと、逮捕時の服装及びポケットに石塊を所持していたこと程度である。しかし、ヘルメット、タオルによる覆面、軍手等の服装、及び石塊の所持の事実は、たとえ機動隊との衝突現場付近で逮捕された事実を加味しても、犯罪行為に加功した疑いが存するとまでは言えても、到底それ以上に出るものではない。

次に右の(3)点であるが、上告人からは、凶器は持っていなかった、という返事の外には、犯罪事実の有無に関しては「いまは言えない」との返答を得たのみであった(乙四号証)。

上告人が当時、取調べを受けている最中であり、それ故に刑事手続上の不利益をおそれて「いまは言えない」と答えたことは、調査に当たった四方、磯貝ともに容易に推察し得た筈であるが、そうでなくとも上告人の右のような態度が犯罪事実を裏付ける根拠としては殆ど何の意味も持たないことは多言を要しない。

以上によって明らかなとおり、本件処分事由に関しては、およそ「十分調査検討」がなされたとは到底いえないのである。

前記通達では「本人及び検察庁その他関係方面について十分調査検討の上」とあり、「本人及び検察庁」以外についても調査し、さらに「十分調査検討」することが求められている。ところが、四方、磯貝らは前記のとおり検察庁や本人からの事情聴取が極めて不備なものであり、かつ、その他の関係方面に対する調査を省略しても事足りるような特段の事情が存しないにも拘わらず、その他の調査は全く過怠し、何ら十分な調査も検討もしていない。本件処分は右のような手続的保障を欠落したもので、その違法たることは明らかである。しかるに、原判決が「右調査の点については、何ら欠けるところはない」としたのは、本件処分をなすに当たり、履践されるべき右手続規定の解釈適用を誤った結果であり、原判決は判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りを犯すものである。

第五、原判決は懲戒権の濫用に関する法理の解釈適用を誤り、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用を誤ったものである。

一、原判決は「本件各犯罪行為の態様、これが社会に与えた影響等の諸事情を総合して考えると、本件処分は、何ら懲戒権の濫用となるものではない」として、上告人のこの点に関する主張を排斥したが、そこには証拠にもとつかない事実認定があるばかりでなく、それぞれの事情の一つ一つが独立で懲戒権の濫用を構成するものでなくとも、それら諸事情を全体として考えれば、懲戒権の濫用を構成するにも拘わらず、懲戒権の濫用に関する法理の解釈適用を誤り、これと別異なる判断を下したものである。

二、第一に、原判決は上告人の行為内容につき、証拠にもとづかない事実認定をしている。

即ち、原判決によれば「新東京国際空港の開港に反対する反対同盟やこれに同調する者等が、昭和五三年三月二六日に実施した右空港の開港を実力で阻止するための闘争により、右空港の設備の多くが破壊され、右闘争に際し、多数の者によか、警備の警察官らに対し、火炎びん、石塊、鉄パイプ等を使用して、暴行、傷害がなされたところ、右闘争には、国家公務員が多数加担しており、かつ、それらの者が逮捕され起訴されたことなどが、新聞等報道機関により大々的に報道され、国民からの非難を浴びた。また、右反対同盟の者らによる一連の行為により、新東京国際空港の開港が、当初予定されていた昭和五三年三月三〇日から大幅に遅れ、内外に多大な悪影響を与えた。そして、原告らの前記……の行為は右闘争の一環としてなされたものである。」というのであるが、右の実力阻止闘争と上告人の行動とは全く無縁であって、原判決の右判示は何ら証拠に基づかない認定である。成程、成田空港の開港を実力をもって阻止する行動のあったことは事実であるが、このような動きは上告人の全く関知するところではなく、上告人としては単に抗議集会に参加し、かつ横堀要塞への違法攻撃に対する抗議デモに加わっただけのことであった。

又、原判決は、あたかも上告人の行動が成田空港の開港延期にかかわりがあるかのようにいうが、上告人が参加した集会やデモによって成田空港の開港が延期された事実はなく、又、そのような証拠もない。成田空港の開港が延期のやむなきに至ったのは、上告人とは無関係な者らによる管制塔の破壊等が原因である。

又、警備の警察官らに対する暴行、傷害の点も上告人のデモ隊に関していえば、上告人らのデモ隊の規制にあたった警官隊は、上告人らデモ隊の進路を正当な理由なく阻止した時点において明らかに表現の自由を侵害し、又、横堀要塞への違法な攻撃を続行させるための違法警備に従事していたもので、そのことから衝突が発生したことに鑑みれば、この点でデモ隊のみを非難するのは当たらない。

上告人は単に抗議の目的で集会に参加し、デモに参加したに過ぎない。しかも、その動機は私利私欲に出たものではなく、国の誤った方針とそのやり方を真摯に憂えて抗議行動に参加したものである。そして、思いがけずも凶器準備集合等の犯罪に巻き込まれてしまったものであり、仮に上告人が右犯罪事実につき有罪であるとしても、その動機ならびに思いがけずも犯罪に巻き込まれたという経過に照らせば、その情状は極めて軽いといわねばならない。

三、上告人の行為が上告人の具体的職務と関連のないもので、上告人の具体的職務遂行に何の影響をも及ぼさないことは既に詳述したとおりである。

又、本件処分事由に関する被上告人側の調査が、とても十分なものといえないことも前述した。仮に、右調査の不十分さが、そのことだけで本件処分の取消事由とするには足りないとしても、他の事情と相まって取消事由となり得る点を看過してはならない。

上告人に対し自由に弁明をなし得る機会を与えなかった点も同様である。

又、上告人の場合とは比較にならない程「罪状が明白であって、その情状の重い場合」で、しかも、職務に直接関連する犯罪行為を犯した、所謂KDD事件の刑事被告人らの場合は、それにも拘わらず単に起訴休職に付されたにとどまり、即時、懲戒免職となってはいない点も重大である。これでは余りにも権衡を失する不公正な処分という外ない。

四、以上の諸点を総合判断するならば、上告人に対し免職という最大の不利益を課する本件処分は濫用にわたるものというべきであり、原判決は、懲戒権の濫用に関する法理の解釈適用を誤り、且つ、証拠に基づかない事実認定をなして採証法則の違背を犯し、結局、判断を誤ったものであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背が存することはこの点でも明らかである。

以上

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